日本遺産 太宰府
古代日本の「西の都」 〜東アジアとの交流拠点〜

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正殿

正殿

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3本の石碑が建つ場所が、大宰府政庁の中心建物・正殿跡です。かつて基壇だったことをうかがわせる高まりと、建物の柱を据えた礎石が残っています。

? ここは、遺跡調査によって、7世紀末の掘立柱建物跡(?期)、8世紀初頭に建てられた大宰府政庁正殿跡(?期)、10世紀後半ころに再建された正殿跡(?期)が確認されました。地表に見えるのが?期の正殿跡です。
 ?期は、唐長安城を参考に平城京造営関係者によって建築されました。903年に大宰府で亡くなった菅原道真が「都府楼」と呼んだ政庁の中心建物です。これは941年「藤原純友の乱」で焼失しますが、その後ほぼ同様の姿で再建されました。
 ?期の礎石は、?期正殿の礎石を再利用したものと考えられています。礎石の柱座は二重三重に盛り上がる壮麗なもので、他に例を見ません。この特別な礎石が、建物の格の高さを物語っています。

 正殿の前は、庭(空間)より若干高くなっています。宮殿の大極殿前にみられる「龍尾道」・「月壇」と呼ばれるものと同じと考えられています。ここにも宮殿構造を見ることができます。



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