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ストーリーの構成文化財 般若寺跡

  • 般若寺跡の画像

孝徳天皇の病気平癒を願って、筑紫大宰帥・蘇我日向が建てたとされる古代寺院です。奈良時代に条坊内に移建されたとされます。当時条坊内の寺院は観世音寺と般若寺と、天皇ゆかりの寺院のみでした。塔基壇や塔心礎が見つかっており、鎌倉時代に造立された石製の七重塔(国重要文化財)が残っています。

般若寺跡の画像

般若寺跡

 古代都市・大宰府条坊の中心部の丘陵上にある、古代寺院跡です。地名は「般若寺」といい、これが寺名とみられます。

 記録によれば、7世紀中ごろに筑紫大宰府の長官だった蘇我日向(そがのひむか)が、ときの孝徳天皇の病気平癒を願って、654年に建立した寺院と記されています。この寺は私寺として建立されましたが、のちに国分寺などの官寺に準じた扱いを受ける寺院となったようです。

 これまでの研究では、般若寺はもともと別の場所にあり、この地に移建されたとみられています。しかも、8世紀に大宰府条坊内に置かれた寺院は、観世音寺と般若寺の2寺だけでした。いずれも天皇にゆかりをもつ寺院ということで共通するようです。

 以前は、丘陵上に堂舎の基壇跡が目視できたようですが、宅地造成によってほとんどが削られてしまいました。
 ただ遺跡はかろうじて残っており、7世紀末の掘立柱建物跡や、8世紀の塔の基壇が見つかっています。その後はよくわかっていませんが、12世紀には経塚が造られ、13世紀頃に七重石塔(国の重要文化財)が寺域の一画に建てられました。

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    七重石塔

     高さは3.35mの石造層塔です。七層の笠石をもち、その下の塔身には仏を表す梵字が4面に刻まれています。

    ​ 近くに塔跡がありますが、平安時代後期以降になると木造塔の建て替えとして石造層塔が建立される事例があるとして、般若寺の塔の廃絶や、般若寺の存続期間を考える上で重要な資料と注目する意見があります。

     この石塔は、国の重要文化財に指定されています。

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